SUGAROCK-FESTIVAL

邦楽ロックをとことん楽しむためのきっかけに。フェスのようなブログを目指してます!

音楽好きの自分が目指すのは「音楽離れ」

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Sugar(@Sugarrrrrrrock)です。

 

「そんな悲しいこと言うなよ!」ってタイトルですけど、僕が「逆説的に正しい」と思ったことです。

好きな音楽を悪く言ってる箇所はどこにもありません。

 

音楽を含めて何か好きなもの、ハマっているもの、心の拠り所にしているものがある人に読んで欲しい。

 

 

この前、とある好きな本を読み返したら、このようなことが書かれていました。

 

本は人にとって杖やビート板のような役割。本だけの力で人間を変えることはできないやっぱり本人の意思と行動ありき」

 

 

 

思うに、音楽も全く同様じゃないかと。

 

 

音楽は人にとって杖やビート板の役割

"自分を変えたい"と思って音楽を聴いている人がどれだけいるか分からないけど、その一人として、

 

自分にとっての音楽は自分を支えてくれる存在です。

まさに杖やビート板的な役割を担ってくれていると思います。それだけが全てと言ったらなんか寂しいけど。

 

 

だからこそ、自分にとって、音楽が好きで拠り所にしている自分にとって、だからこそ、ゴールは音楽から離れることなのかなと感じました。

 

 

杖もそうだしビート板も自転車の補助輪もそう、最終的に離れて自分だけの力で走って泳げるのがゴールだから。

 

 

一見間違ってる気がするし、「そんなこと言うんじゃねぇ」って感じだけど、

僕の好きなロックスター

 

 

「この歌も捨て 自らの言葉と身体で生きていけ」

 

 

と歌っているし、"自ら音楽を手放す"という考えはきっと正しいです。

 

自分の手から離れたものを誰かのもとへ

 

こんな誤解を生みそうなこと書いといてですけど、何より勘違いしないで欲しいのは、「離れる」「捨てる」イコール「聴かない」ではないこと。

 

何て言えばいいんだろう。離れるというのは、"依存"に対する"自立"みたいなことで、

 

精神的に自立した上で好きな音楽と関わるという次のステップがあると思うんです。

 

 

また、聴かないというのは「自分のためだけに聴かない」ということかもしれない。

 

「自分に向けて歌ってるみたい」

 

 

「あの人に聴かせたい」

 

この感覚が共存してると良いんだと思います。

 

 

強力な主観を経験していないと、相手への想像力も働かないだろうし。

 

 

自分はもう、しがみつかなくても大丈夫だから代わりにあげる。

あるいは、一緒にしがみついていこう。

 

この記事で言う「音楽離れ」はそういう意味です。

 

音楽かもしれないし本かもしれないし自身の経験かもしれないけど、良い意味で離れて放していこうと思った次第です。

 

 

どうですか?好きなものから離れたいと思いましたか?

何か考えるきっかけにして頂けたら嬉しいです。

 

 

かくいう僕はまだまだ主観に偏っていて、あんまり特定の誰かを想像することが今は得意じゃありません。

 

ただ、好きなものを通じて誰かに杖とビート板を差し出すところから、ゆくゆくはその人が手放せるところまで関われたら、それが僕の望むことだと思います。