音楽コラム/オピニオン

音楽で"人生"は犠牲に出来ない

Sugar(@Sugarrrrrrrock)です。
先日、とあるツイート(今は削除されてしまったんですけど)を見て、思ったことがあります。
内容は「7年前に観たロックバンド(今はシーンの第一線で活躍中)のライブのMCでこんなこと言ってた」って話。
で、そのMCは「音楽で人生を犠牲にしないで下さい。音楽で聴いた後に何をするかが1番です」といった内容だったそうです。
熱心なファンもいるであろうオーディエンスの前でそんなこと言えるのはスゴイなと思ったのと同時に、自分にとってもとても考えさせられる話だと感じました。
 

音楽で人生を犠牲にするな

自分にとっては今のところ音楽が筆頭かと思うんですけど、好きなもの以外目に入らないって状態の危険性は理解しようと努めています。皆さんもそうだと思う。

そうするとどこかで”何かを犠牲にして手に入れた音楽”であることに僕は少し後ろめたい気持ちを抱いてしまう。そんな状態から抜け出せずにいる部分があります。

好きに没頭しすぎて、ハマりすぎて、他のことを蔑ろにしてしまっていいのだろうか。

そんなことで葛藤した経験、ある方もいらっしゃるかもしれません。
僕は、好きなことであれ流石に人生までは犠牲に出来ないと思いました。

だって、生活とか仕事とか趣味とか娯楽とか全部ひっくるめた頂点に人生があるから。

普通の生活とか、安定とかは犠牲に出来ても、音楽で人生そのものを犠牲にしてるって感覚はそもそもなんか違うと思いました。
きっとそういう意味で「人生を犠牲にするな」ってMCをしたんじゃないかなぁと、考えすぎかもしれないですけど(笑)
犠牲にするのは人生そのものではなく、好きなこと以外に人生を担っている部分部分に対して。
それらのどこまでを犠牲と捉えるか、ということは考えた方が良いですよね。

犠牲と思ってる段階ではまだ本気じゃない

そして、「犠牲を犠牲と思ってる段階ではまだまだ好きなことに本気じゃない」のだろうなってことも考えました。

誠心誠意込めて求める先へ向かっていくことで、犠牲にしているという感覚をも吹き飛ばすんだと思います。

今、僕が思う誠心誠意は、自分が求めていることを通じて自分が得られるメリットと、誰にどう貢献出来るかを考え抜いて共存させること。

音楽で例えるなら、ズバリ「聴いた後に自分は何をするか」誰に何をしてもらうべきか、です。

その答えは、もちろんすぐには出てこないし、簡単には背負えない。

皆さんはそれぞれ持っている自分の好きなことを、人生を構成するピラミッドのてっぺんに持ってくることは出来ますでしょうか。

もちろん犠牲という感覚も越えて自分の求めるものを追いかけていきたいけど、自信がないです。

壁にぶつかって、破って越えていくのも無理があるのかもしれない。

音楽好きの自分が目指すのは「音楽離れ」 – SUGAROCK-FESTIVAL

それでも好きなことと長くて良い付き合いをしていきたい。

なので、音楽に関していうなら、この前書いた良い意味の「音楽離れ」っていう感覚を今は大事にしたいと思ってます。