ライブマナー

ルールを破ることが果たしてロックなのだろうか??

Sugar(@Sugarrrrrrrock)です。

今回は、ブログを読んで下さっている方から「この問題についてご意見お聞かせ下さい」ということで記事を書きました。

その問題というのが、

「モッシュ・ダイブ禁止」等のルールを破ること、及びルールを破ることをステージに立つ人が助長すること、我慢出来ずにルールから逸れた行動を取ってしまうこと、これらは果たしてロックなのでしょうか?

というものです。

ぶっちゃけ、今に始まったことではないです。

そして今年も「ルールが破られている」現場が僕が観たライブにもありました。

これまでも起きてきたことだし、これからも起こりうることなので、名前は出しませんが。

この手の問題はこのブログでも何度か書いてきました。

ライブマナー カテゴリーの記事一覧 – SUGAROCK-FESTIVAL

とはいえ、日を重ねるごとに考えはアップデートされていくので、現時点で僕が思っていることを答えていこうと思います。

先に結論を言うと、上の問題に対する今の僕の答えは「ロックじゃない」です。

ただ、この問題は「答えの無い問題」と言われるものだと思います。

なので、読んで頂ける方は、読みながら自身の答えを考えて頂けると嬉しいです。

ルールを破ることは「ロック」だとは思わない

まず「何をもってロックなのか?」を測る物差しはかなり主観的なものだと思うんですよね。

誰かに向けて「これはロックだ/ロックじゃない」って言いつけるのはあんまり良くないというか、やっぱりそれぞれの考えがあると思うんで。

ここで書いてるのは、あくまで個人的な考えです。ということを理解して頂けると嬉しいです。

この前置きするのもカッコ悪いですけど。

冒頭で書いた通り、僕は「ルールを破ること」に関してはロックじゃないと思います。

むしろ、与えられた条件でやりきる、制約があるからこそ普段とは違う/普段以上の熱量が出てくる。それがロックかなと。

ルールを破ることが事実として起こる。破ることを容認、助長している人がいる。

本人がそう思ってなくても、そう思われてしまっている。という現状の中で、

律儀にルールをルールとして、言葉を言葉通り受け入れている人がいると思います。そういう人たちの方がよっぽど素直で真っ当じゃないですか?

その人たちが損や被害を被るのはやっぱり見過ごせないです。

言葉を真に受けて損をするのは辛いよな – SUGAROCK-FESTIVAL

ルールになってる以上、そこに理由があります。

例えば、ROCK IN JAPANやCOUNTDOWN JAPANがダイブ等の危険行為を禁止してるのは、過去に来場者が危険行為をされて後遺症が残ってしまったからです。

その事実を踏まえた上で、主催者と出演者は、ルール、条件に同意した上で、出演の交渉、契約、さらにはギャラが発生してる(はず)

この約束事の重みをどう捉えているか。

ルールが破られるということは、こうした背景に少なくとも背を向けてしまっていると捉えられても仕方ないと思います。

なのでその点において「ロック」な響きはあまり感じないです。
ただ、僕が1番ロックとかけ離れてると思うのは、ルールを破ること自体が目的になっている人。完全にクロです。
ということで、「ルールを破ることがロックかどうか」という問いに関してはこんなところです。
感想、意見、文句等ありましたら是非お聞かせ頂きたいです。
・・・
これで一区切りなんでここまでで良かったんですけど、いろいろ考えたらなかなか止まらなかったので、それを続けて書きます。

“誰の考えが正しい/間違ってる”という問題でもない

ここまで書いた内容に関して、良しとするかしないかって、実際現場にいて当事者であるかどうかにかなり影響されると思います。

僕も禁止行為が行われている現場も何度か観たことあるし、そこにはそれを助長していると取れる発言があったとも僕は感じました。

でも、その場にいる時は止めようとか、何ふざけたこと言ってんだよとかあんまり思わなくて。

むしろ周りはその一連の流れでより一層盛り上がってるように見えたし、

「良くはないけど悪いことでもなさそうだな」って思っちゃったし、

SNSで「カッコ良かった」「ロックだった」って感想を見て「その気持ちもわかるわ」ってうなずくわけです。

ただ、ルールを破った人に対して、

「煽られたら、我慢出来なかったら、衝動に駆られたらやってしまっても仕方ないよね」

とは言えません。

ライブの後に一連の流れがSNSとかで広まって、外野で当事者じゃない人が後から話を聞いて話題を盛り上げる。あれこれ言う。

(自分もそのライブは観てたものの間近で危険行為が行われている場所とは離れてた場所で観てたから厳密には当事者じゃないかもしれません)

それは全然良いと思うし、そこで変にいがみ合ってもしょうがない。

現場にいた人が「そういう意見は現場を観てから言え」って観てない人に言っても観てないもんはしょうがない。

観てない人が嘘をでっちあげるのは論外として、

現場にいない人が意見したり、その過程で話が曲解されてしまったり。残念だけどそれはもう誰かが頑張っても止められるものではないです。

現場にいた人の感覚、いなかった人の感覚、どっちも間違ってない。どっちが偉いとかないです。

「誰かが煽った/煽ってない」とかもそれは個人の受け止め方。

「煽ること自体が悪いのか」「煽ったことは悪くなくて、それに乗じた人が悪いのか」そういうのも結局は各々がどう思うか。

自分次第とか自己責任って言葉で終わらせたくはないですけど。これ以上踏み込むとやっぱりキリが無いです。。。

各々が納得感が1番の正解

どっちつかずで申し訳ないんですけど、それ以上に今回の件みたいな話を通じて、各々の思う正解を考えるきっかけにして欲しいというのが1番です。

納得いくまで考えて辿り着いた納得感、きっとそれが正解。人によって違って良いと思います。

答えのない問題に1つの答えを決めるんじゃなくて、

各々が正解を持って、出来ることならその正解をお互いが尊重した上で、「その考えはわかる/わからない」を話し合えれば良いですね。