音楽コラム/オピニオン

炎上ニュースに対して不快に思う点とその向き合い方

Sugar(@Sugarrrrrrrock)です。

今まで無意識のうちにスルーしていたのかもしれないけど、ここ最近立て続けにいわゆる「炎上系」のニュースが目に止まる機会が増えた気がします。

正確には炎上じゃないのもあるけど、大きく括ると“ネガティブで批判的なコメントが集中する”ニュース。
ここでは具体的にどれとは言いませんが、テレビでも大きく取り上げられるようなニュースもそうだし、僕の周りだったら音楽関係だったりブログ関係だったり。

で、その都度自分の中にモヤモヤだったりイライラだったりそういう不快な感情が溜まっていきます。今までもこの手のニュースは目に触れてただろうになんでなんだ。

ずっと溜め込んでいても不快なままなんで、僕がこうしたニュースに対して不快に感じる要素と、その上でどう向き合っていくべきかということを書き殴ってみました。

不快さの1番の元凶は◯◯◯

自分との直接的な関連度合いにもよるけど、誰かが炎上してるのを見るとまずは当然その内容に対して思うことがあって、「悪いことしてるな」「悪いと言われても仕方のないことをしてしまったな」と思って見てます。

場合によっては自分も批判する側になります。

でも、自分の感じる不快の1番根本的な原因って何なんだって考えたら、決して炎上した人の行いの悪さではありませんでした。
1番の犯人は「SNS」ですよ。間違いない。

今も昔も、炎上は主にニュースメディアを発端に起こっているけど、今は特に個人レベルでも炎上が当たり前になって、当事者間で解決したら良かった話が大勢に広がってしまう恐ろしい時代です。

怒りとか嫌いとかそういう負の感情ほどあっという間に増幅していくんですよね。

もちろん、悪い行いが多くの人目に渡るのは良いことだと思うし、”ちゃんとした”批判であれば届けられて然るべきだと思います。

ただ、最近はニュースメディアもメディア(特にWeb系)で話題性目当てで取り上げてるんじゃないかって感じたり、半分エンタメ的な側面で取り上げてない?って思ってしまうことがあるし、

個人レベルでは「こいつらバカか」って言ってること自体に楽しさや面白さを覚えた人もいる気がしてならない。

個人的に”ちゃんとしてない”と感じてしまう批判も多くてすっごく目に障るんですよ。

そんな見方をしている自分は相当ひねくれてるのだろうか。

歴史的にみてもこういう人って一定数存在するんだろうなと思っていて、「野次馬」って言葉なんて読んで字の通りだし、
中世のヨーロッパとかで人の処刑を公の場所で行って人が群がって騒いでたのも今に通ずる人間の習性なのかなと思います。

そこにストレスの捌け口を見出すのは本当に直接被害を受けた人だけで良いのに。

これらの現代版がSNSで起こっていて、最初から文字通り”叩く”こと自体が目的だったり、真っ当な批判をしていた人も、途中から目的が変わって叩く人になってしまっているんじゃないかなと感じています。

あることないこと書いて火に油注いでる人も一種の加害者に見える。そういう人たちの言動が見えてしまうのが自分にとっては1番不快です。

周りに流されないためにも不快さを大事にする

悪いことに対してストレートに悪いって言うのが相手を思った「愛のある批判」だとしたら、今はSNSによって「愛のない批判」が増えてしまった。
誰でも簡単に処刑台の生首をさらし上げることが出来るんですよ。
そもそも炎上イコール必ず悪いわけでもないし、それに対する批判にも良いものと悪いものがあります。
そういう愛のない、悪い批判が目に障ることがとても不快で仕方がない。

「じゃあSNSやめればええやん」って話なんですけど、

不快になりつつも、色んな意見や口撃や煽りや擁護のコメントを見て、「何をもって自分は良しとするのか」逆に「何をもってダサいとするのか」っていう自分の判断軸なり価値観なりを見つめる機会になるんですよね。

炎上に限らずSNSで沢山の人が集まるコメントって、良くも悪くも内容が過激だったり、あるいは誰にでもわかりやすい。

文面にしろ写真や動画にしろ、わかりやすいからパッと見ただけで反射的に共感や同意をしてしまう。

そうして知らず知らずのうちに流されたり、自分の意見を持つ間もなく同調してしまうのかなと思います。もちろん僕もそうなることもある。

でも、周りがこう言ってるからとか、世間的にはこっちが正しそうとか、そういうフィルターに囚われて自分の頭で考えることを止めたらいけないんですよね。

そのためにも、すぐに炎上に加担することは避けようと思ってます。

外部に対して否定的な感情が湧いた時こそ、その感情の矛先がどこに向いているのか、外に出すことで自分にはどういうメリットがあるのかをハッキリさせておく必要があって、
違和感を少しでも覚えたら、そこで一度立ち止まって考えるべき。
なるべくあって欲しくないけど、この先もきっと色んなところでSNSを中心に誰かが炎上しているのを目にすると思います。
その際はまず周りのネガティブな感情と向き合って、自分で考えた上で批判するなら批判するし、擁護するなら擁護するし、スルーするならスルーするし、批判する人に対しても「それは違う」と言えるようになりたいですね。