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器用なバンド、BLUE ENCOUNTが新たな「らしさ」を掴むまで

先日、テレビをつけたらたまたま某ロックフェス特集でBLUE ENCOUNTのライブ映像が流れていた。

メジャーに出てもうすぐ5年が経つ彼らだが、地上波の番組では今もなお「熱血号泣バンド」という風な紹介をされている。

 

そんなブルエンだけど、他の同世代バンドと比べるとマスに触れる機会が多いこともあり、最近は「熱血号泣」というよりも「器用な」バンドだと思うようになっていた。

そして、そこには器用ゆえの違和感も何となく感じていた。

 

ただ、先日リリースされたミニアルバム「SICK(S)」は、様々な方向へ向かった矢印をいったん取り払い、バンドの1番真ん中にあるべき大きな矢印をグッと引き寄せるような会心の作品だった。

ミニアルバムだからこそ1番良い部分に突き抜けている。この6曲だけでフェスを戦って新たなオーディエンスを味方につけれるのではないかとも思う。

 

個人的にブルエンとの距離感を模索する時期は今も続いているが、バンドもそれ以上に大きな迷いを抱えながら、今作に至るまで紆余曲折の時期を過ごしていたようだ。

器用なバンドゆえの迷い

昨年リリースのフルアルバム「VECTOR」は攻撃的で激情的なブルエンらしさは勿論あったが、それ以上に楽曲のバラエティに富んでいて、様々なジャンルを吸収してアウトプット出来るバンドの器用さが目立った作品だった。

最後を飾る「こたえ」という曲まで、色んなベクトルを持った14曲の中から自分に合うこたえを見つけて欲しい。そして、その曲によってリスナー1人ひとりにとって「オンリーワン」な存在になろうとしていた。

当時のバンドにとっては、アルバムに込めた想いも含めて良い作品だったと思う。

 

 

しかし、この「VECTOR」を提げた全国ツアー以降、バンドは長いトンネルに入ってしまったという。

その原因は、良くも悪くも何でも出来るバンドになっていたから。出来ることは増える一方で、本当にやりたいことが分からなくなっていたのだろう。

 

出来ることの引き出しを増やすのは、目的の前の手段に過ぎない。

自ら「何が正しいのかわからない」と歌っていたように、きっと目指す「こたえ」を決めるのを急ぎ過ぎたのかもしれない。

 

その弊害として、曲は沢山出来ているけど、自分達にとって何のための曲なのかが分からなくなっていたと、フロントマンの田邊さんは話していた。

 

曲がとにかく多いから、ブルエンってデビューの時から毎回、チーム全員で「この曲の中でどれをレコーディングしようか」って話し合う会議があるの。そこで各々が曲への想いを述べていくんだけど……それをまた1月にやろうって時に、俺は何を思ったか「その会議、要ります?」って言っちゃったの。(中略)もう、サイコパス過ぎる発言をしちゃったんだよ。そこが唯一、みんなの熱意を繫ぎ止める場所だったのに。曲が出ることは出る。だけど、何に対して曲を生むのかっていうのは一切なくなってて、モチベーションが底をついてたんだよね。

CINRA.NET「全て曝け出したBLUE ENCOUNT 成功を超えたバンドの葛藤と本音」(https://www.cinra.net/interview/201906-blueencount)より

 

インタビューを読んでいて、外から見ている以上にバンドを取り巻く病状は深刻だったようだ。

過去のイメージを刷新する「らしさ」

出すべきこたえがわからない。バンドの戦い方がわからない。そんな深刻な病状にメンバーそれぞれが向き合い、年明けの1ヶ月で完成させたのが「SICK(S)」というミニアルバム。

先述した「曲だけは沢山出来ていた」時期の曲はほとんど収録されていないという。

 

そんな紆余曲折を経て出来た作品をこんな一言で評していいのかは分からないが、まさにBLUE ENCOUNTらしい楽曲たちだ。

マスメディアが付けたがる「エモ」とか「熱血」というキーワードから更に生まれ変わって前進したような、今のバンドの1番純度の高い部分が6曲に詰まっている。

「〜らしい」と「〜っぽい」とは違う。「〜っぽい」は過去の曲やイメージと比べた時に使う表現だ。

今作は確かにこれまでのブルエンのエモーショナルなイメージを継承しているけど、歌の熱さだけが先走ってないし、上モノが目立つ演奏でもない。何というか、盛っていない感じがする。

 

だから「これまでのブルエンっぽい」ではなく「今のブルエンらしい」と言いたい。

そしてその「らしさ」に辿り着いたのは、昨年の作品で器用さをもって「らしくない」部分に挑戦して苦労してきたからこそだと思うのだ。

不恰好だけど素直に求め合うアンコール

結果として超攻撃的なライブチューンが揃った「SICK(S)」を提げて、バンドはキャリア初のホールツアーをスタートさせた。

 

おかしな話だけど、ここでホールに合う曲を作ろうとしていたらまだトンネルから抜け出せていなかったかもしれない。

会場のスケールやターゲットに合わせて音楽を変えるのではなく、今最も力を発揮できる武器で戦おうという姿勢が感じられる。

 

 

自分たちが鳴らしたい音に自分たちが伝えたい想いを乗せる。当たり前のことかもしれないが、今作で改めて曲の主語をBLUE ENCOUNT自身に戻すことが出来たのだと思う。

今までも聴き手を鼓舞するメッセージソングではあったけど、それ以上に曲を作って鳴らすバンド自身を鼓舞する曲をリスナーも求めていたのではないだろうか。

 

今作の最後を飾る「アンコール」は、模索の期間に終わりを告げて、本当の意味でベクトルの方向が定まったバンドと「こんなブルエンを待っていた」というリスナーの想いが共鳴するような1曲だ。

 

心の真ん中を打ち抜くツービートは、指定席のホール会場には不恰好に、だけどこれまでになく素直に鳴り響くだろう。

 

いわゆるシーンを駆け上がったアーティストゆえの紆余曲折を経験しているのはブルエンだけに限らない。同じ時代で戦ってきた周りのバンドを見渡しても、成熟したその先に向かおうと試行錯誤を繰り返している。

 

バンドがこれからも長く続いていくと思えば、今までのキャリアはまだ序章に過ぎない。今回のように、やればやるほどこたえから遠ざかるような時期がこの先再び訪れる可能性だってある。

 

だからこそ、アルバム1枚聴いただけではなく、ライブの一夜限りの出来事だけではなく、もっと長い目でカッコ良い音楽を求めるアンコールを贈り続けていきたい。

そしてアーティスト側からも「これからも信じてついて来て欲しい」とこちらを求めるアンコールを待っている。