アーティスト

岡崎体育「らしさ」を捨てて、夢のさいたまスーパーアリーナへ

楽曲・作品は、それを作るアーティストのバックグラウンドや目指す目標と切り離せない関係性にあると思っている。

 

例えば、初めての日本武道館を控えたロックバンドが出すアルバム。夢のステージへ駆け上がっていくストーリーが色濃く反映されている曲や作品は個人的にかなり好みだ。

 

そしてまた、夢を目前に控えたアーティストのアルバムがリリースされた。岡崎体育の「SAITAMA」というアルバム。

 

 

その名の通り、彼が活動当初から目標に掲げていた「さいたまスーパーアリーナでのワンマンライブ」の前に世に放った勝負作。

 

 

これまでに「バンドざまあみろ」や「どうぶつさんたちだいしゅうごうだわいわい」など言ったキラーフレーズを生み出し、YouTubeでバズを起こしてきたのはご存知の方が多いと思う。

岡崎体育は現代ならではのクリエイティビティを存分に活かして話題を集めてきた類稀なる才能の持ち主だ。

 

 

ただ、今作からは彼の武器とも言える”ネタっぽさ”が殆ど感じられない。

 

アルバムを通して流れてくるのは、スタイリッシュでクールな楽曲、そして本人のパーソナルな部分がエモーショナルに響く楽曲。

 

程よいバンド感もあり、打ち込みならではのローサウンドの響きも心地よい。要は普通にカッコ良いのだ。

 

 

このアルバムを多くの人に届け、来たるさいたまスーパーアリーナワンマンを満員にするべく、彼はリリースから1週間SNSをはじめ様々な場所で必死のプロモーションを行っていた。CDを売ってオリコン1位を取りたいと頻りに訴えていた。

 

もちろんオリコン上位に入って欲しいけど、自分はそういう話題性だったり、一過性で終わらない場所で評価したい。

 

それは先述の通り”良い意味で”バズるようなネタ曲が無いから。

普遍的に聴けるカッコ良い音楽だからこそ、感じたことを言葉に残そうと思う。

“ネタ曲なし”は”従来の岡崎体育”へのカウンター

“ネタ曲”って言い方が正しいのかって言われるとアレだけど、今作はガチガチにそこに振り切った曲はない。

本人の性分が見え隠れする歌詞に共感したり、そこにクスッとくるユーモアはあるけれど。

 

加えて今作は、今までのアルバムの時と違い、戦略的にMVで話題を集めてバズらせて、って言う従来の正攻法ではない。

ネタでバズる要素のある曲も無ければ、リリース前に1本もビデオを公開しなかった。

 

 

言うならば、純粋な「音楽性」で勝負して、それでアリーナを埋めて成功させようとしている。1ミュージシャンとしての実力勝負で夢を掴もうとしている。

今の岡崎体育が今までの自分自身に対してカウンターを撃っているように感じるのだ。まず第一にこの姿勢がカッコ良い。

 

大きい会場でやるから、多くの人に届くように分かりやすいことをやろう。ではないのだ。

 

 

唯一分かりやすくて、ネタ感があるとしたら、アルバムのタイトル。如何せん「SAITAMA」だし。

 

岡崎体育は京都の実家暮らしだ。スーパーアリーナ以外に埼玉に深い所縁があるのかどうかは正直わからない。

歌に出てくるのも地元京都の風景だ。埼玉には同志社大学のキャンパスはないし、近鉄電車も走っていない。

 

でも、本人はこの楽曲たちを「さいたまスーパーアリーナで映えるカッコ良い曲」だと信じて作ったに違いない。

 

だからこそ「SAITAMA」。潔いじゃないか。

洗練されたサウンドと自分語り

ここまで今作のスタンス的な部分をひたすら書いたところで、ようやく曲の話。

 

ネタ曲なしのスタイルがアルバムという作品単位にもたらす効果は絶大で、良い意味で1曲だけ目立つ、ということがない。

今作はどの曲も音数がコンパクトで、一音一音がスタイリッシュにダイナミックに響いてくる。

 

そんな洗練された音楽に、彼が今まで歩んできた道のりや、パーソナリティ、ミュージシャンとしてのプライドが込められた歌詞が乗っかってくる。盆地テクノ=岡崎体育のソウルミュージックなのだ。

 

その時々で色んな曲の色んな場所から単発単発で刺さるワードがある。クールでありながらエモーショナルサイドも備わっている。

 

特に、周囲に馴染めなかった自身のキャンパスライフをまさに弱者らしく下から突き上げるような低音ビートに乗せて歌った「弱者」

その後の芽が出るまでの下積み時代のやるせなさを感じさせる「なにをやってもあかんわ」の流れには胸を打たれた。

スタイリッシュな音楽から一転、今作唯一のパンクなバンドサウンドにエモを更にこみ上げる。

潜在的にはトップオブザワールド 感覚的にはアカデミー賞

でも現実的には鳥合の衆のそれ以下の以下の以下

岡崎体育「なにをやってもあかんわ」

 

バンドざまあみろなんて言ってはいるけれど、岡崎体育自身も小さい地元のライブハウス上がりのアーティストだ。

たまアリに立つ夢を抱いた頃から存在し、今作にあたって録り直した「からだ」には「岡崎体育っていうバンド」と言うフレーズがある。

 

実家の勉強机で曲を作り、ライブハウスで泥水を啜ってきたバックグラウンドがあるからこそ、ロックバンドシーンも巻き込みながら着実に大きく成長してきた。

昨年のROCK IN JAPAN、メインステージで1人で本気で口パクのパフォーマンスをしていた姿はとても感動的だった。

 

 

そしてアルバムのクライマックスを飾る「龍」と「The Abyss」の2曲も素晴らしい。

岡崎体育という言わば”キャラクター”を架空の生き物である龍に投影させた曲だという。

 

今作のような真摯なアルバムを作るにあたって、世間的に求められていそうな曲のイメージと自身が作りたい曲との間に溝があったのだろう。

有名になったアーティストにも、その肩書きに縛られない、誰にも介入できないまさに「私だけの場所」「私だけの私」になれる時間が必要だと。

 

 

アルバムの最後を飾る「The Abyss」という曲名には、日本語で深淵という意味がある。

夢の中で迷わないように そっと種を蒔くみたいに残した言葉

誰かの記憶の奈落に潜むように ここに立つ 僕はここに居た

岡崎体育「The Abyss」

 

アーティストとして、1人の人間として自分と時代と向き合い、今残すべきものは何か。

制作意欲の奥の奥、深いところまで掘り下げた作品だということ、少ない言葉数に熱量が詰まっているように感じた。

さいたまスーパーアリーナで”終わらせる”覚悟が宿っている

本当にやりたい音楽で夢のステージに立つということ、夢に至るまでの道のり、そして生身の自分を表現しきった作品だと思う。

 

当初、岡崎体育はさいたまスーパーアリーナでライブをした後は裏方に回って楽曲提供やプロデューサーになろうと思っていたらしい。

それはつまり、表舞台の”岡崎体育”を終わらせる、という意味だったかもしれない。

 

今は「これからも岡崎体育をやりたい」とインタビューでも話しているので以降ステージに立たなくなる心配は無さそうだけど。

 

ただ、「岡崎体育を終わらせても悔いはない」という覚悟を詰め込んだ作品を本人としても作ったはず。これからずっと普遍的に聴かれ続けて欲しいアルバムだ。

 

 

既に何度もリピートして聴き続けている。洗練されたテクノポップは日常のBGMとしても最高だし、何だか筆も進む。

そして、彼の根暗でイケてるとは言えない雰囲気には”同じタイプの人間”として共感するし、その歌に焚き付けられる。

 

 

まぁ、聴き始めてから15〜17分ごろに確実に1回睡眠を貪ることになってしまうのだけど。