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あいみょんが発明した「瞬間的シックスセンス」という言葉に生き様を感じた

2月2週目の新譜が強力過ぎて、どのアーティストから感想を書こうかと、思いが渋滞しているこの頃。

 

その中から今回はあいみょんの2ndアルバム「瞬間的シックスセンス」について。

 

 

シングルカットされた「満月の夜なら」の官能的な歌詞や「マリーゴールド」のオーセンティックなメロディのように、楽曲を難しく考えたり深読みする前にスッと入ってくる”親しみやすさ”があいみょんが持つ大きな武器。

 

ただ、このアルバムから伝わってくるのはそれだけじゃない。

「あいみょんの曲には歌謡曲っぽさがある」とか「ポップミュージックだ」とか、それは聴けばわかると思う。

 

こうやって名曲を作り出す彼女の価値観や生き様が、アルバムタイトルの「瞬間的シックスセンス」という言葉に詰め込まれているように感じた。

 

個人的にあいみょんは同じ1995年生まれでもある。

同世代のアーティストの活躍ぶりをスルー出来るはずもなく、楽曲を聴けば聴くほど、インタビューの文章を読めば読むほど彼女の力強い人間観に刺激を受けた。

 

なので、是非このアルバムを聴いて欲しい(そう言わずとも皆聴いていると思うけど)し、聴いた後にリスナー1人ひとりに備わっている「瞬間的シックスセンス」を見つめ直して欲しい。

「瞬間的シックスセンス」という言葉が発明品

アルバムタイトルになっている「瞬間的シックスセンス」という言葉。

文字通り”瞬間的な第六感”という意味で、曲や詞のアイデアがひらめく時の、自分だけのセンスが発揮される瞬間のことを意味しているのだと思う。

一瞬の時の流れに対してシャッターを切るみたいに、見た情景や脳内を切り取ること。

 

今作で言うと、例えば3曲目の「ら、のはなし」というタイトルをつけたのもそう。

次の4曲目「二人だけの国」の冒頭の「運命共同体同士」という歌詞に棒読みの「ナンマイダ」を続けたのも、彼女の瞬間的シックスセンスが掴み取ったアイデアの賜物だと思う。

この曲には「決定的瞬間」というワードも登場していたり。

 

 

個人的には、あいみょんが歌う「あぁ」に感情を持っていかれる。

この「あぁ」こそ、歌いながら直感で出てきた雰囲気があって「これこそ瞬間的シックスセンス!」と聴いていて思う。

 

 

そしてなんと言っても「瞬間的シックスセンス」という言葉を発明したことに彼女のセンスを感じる。

「瞬間的」「シックスセンス」という言葉は昔から存在していたけど、「瞬間的シックスセンス」という言葉を作ったのは紛れもなくあいみょんだ。

あいみょんは自らの魅力を説明出来るフレーズを自ら作った。とても大きな発明品だと思う。

「今だけだから」光るものを繋ぎ止める

「瞬間的シックスセンス」でキャッチするのは、勿論とても瞬間的で刹那的な感覚。「来た!」と思った瞬間から無くなってしまうものだと思う。

 

そんな一瞬の輝きを、あいみょんは大活躍を果たした自身の2018年に照らし合わせていたようだ。

やっぱり1番光ってる星をみんな見つけやすいから見るだけで、すぐ別の星に目移りするじゃないですか。1番星見つけたって言ってもずっとその星を見てるわけじゃなくて。すぐその横にあるオリオン座やら色んな星を探しにいく。だからそういうものに今自分自身は近いと思ってて。今たくさんの方に曲を通して注目されてるかもしれないんですけど、それは今だけであってみたいな。

あいみょんが語る、作品に懸ける一瞬の閃き 「世の中には見逃したくないものがいっぱいある」- Real Sound(https://realsound.jp/2019/02/post-318932.html)

 

今だけや、今だけや、と思いながら2018年はやってましたよ。

あいみょんから年下の子たち&大人へ 直感と瞬間の大切さを語る – CINRA.NET(https://www.cinra.net/interview/201902-aimyong)

 

“この曲は絶対に売れる”と「マリーゴールド」をリリースした自信と共に存在していた「光っているのは今だけ」という感覚。悲観的とも現実的とも”ここで慢心しないぞ”というプライドとも取れる。

 

そんな彼女の価値観が「ひかりもの」という曲に詰まっている。

“今だけしか光れない”という感覚が、過去を繋ぎ止めたいと思うものばかりにしているのだろう。

自らを瞬間的な存在だと感じながらも、曲を作って作品を残すことで、半永久的に光るものにしたい。

 

“残すこと”に関しては、5曲目の「プレゼント」で “涙と愛は元から溢れる仕組みになっているから、決して引きずるものではなく、自らを助けるもの、前向きにさせるポジティブなものだ”とメッセージを贈っている。

 

 

単なるメッセージソングは書けないから、”昔からそういう仕組みになってる”と俯瞰になってみた、とインタビューで話していた。

あいみょんは空から見下ろしてリスナーを明るく照らす「ひかりもの」でもある。

平成のカリスマなんかじゃない

自分のような音楽を聴く人にとって身近な「瞬間的シックスセンス」と言えば「この音楽カッコ良い!」と感じる最初の瞬間がその1つだと思う。

 

聴いてたら自然と鳥肌が立つとか、無意識に拳握ってたとか、そういう感覚も個人的には「瞬間的シックスセンス」と言い表しても良いのではないだろうか。

 

そういう意味で自分が1番「瞬間的シックスセンス」を感じたのが8曲目の「夢追いベンガル」

 

あいみょんのライブに行く人の中には全然想像出来ないけど、ガタイの良い男たちが汗まみれで歌って転がってる光景が浮かぶぐらいロックンロールしてる曲だと感じた。

 

あいみょんの楽曲にはこれまでも色んなアーティストやバンドの影響が色濃く出ているものがあったけれど、「夢追いベンガル」に関しても、andymoriの「ベンガルトラとウイスキー」を思い浮かべたリスナーがいると思う。

 

 

この曲の後半であいみょんは「平成生まれのカリスマが溢れる世の中についてけない」と歌っている。

 

この歌詞、

「平成生まれのカリスマが溢れる、世の中についてけない」

と読むか

「平成生まれのカリスマが、溢れる世の中についてけない」

と読むかで解釈が変わると勝手に思っている。

 

前者だとしたら、時代のアイコンになることやカリスマと言われてカテゴライズされるのを嫌ってからだろうか。

今の世の中、カリスマやインフルエンサーと名乗る人が溢れ返っているし。

 

後者だとしたら、あいみょんの自虐にも聞こえてくる。

天才とか才能って、周りの人が見出してくれるものだというのはもちろん分かってるんですけど、それを言われたところで、「自分は天才や」とは思わへん。才能がどうとかではなく、ただ音楽がすごく好きで、なにかを作ることが好きなだけだっていうふうに思っていますね。

あいみょんから年下の子たち&大人へ 直感と瞬間の大切さを語る – CINRA.NET(https://www.cinra.net/interview/201902-aimyong)

自信家でもありつつも”自分に才能があるわけじゃない”と、やっぱりどこか謙虚だ。

 

今作で「瞬間的シックスセンス」という言葉を発明したし、第六感はその人独自の感覚だ。

だけど、自分にしかない感覚を引き出してくれたのも、周りの環境があってこそだと思う。

 

 

「夢追いベンガル」からも、影響を受けた人や音楽へのリスペクトを感じる。

 

“こんな音楽を聴いて、こんな音楽に生かされてきて、自分もこうして音楽をやっているんだ”という姿勢は、前作の「憧れてきたんだ」や「君ロック」からも伝わった。

今もあいみょんの曲作りの源泉にあるに違いない。

 

自分だけの感覚が掴んだ音楽を聴いて、エバーグリーンな原風景に憧れ、自分のだけ感覚で新しい音楽を作っている。

天才だとか、平成のカリスマとかいう肩書きはあくまで後付けだし、根本的には「流行りもデジタルもいらない」のだ。

「自分だけの感覚を忘れずに」と教えてくれる

アルバム最後の曲「from 四階の角部屋」で、あいみょんは「どうせ最後には生ゴミ同様捨てられて〜」と吐き捨てるように歌っている。

 

足りないものがない時代、満たされすぎて逆に不満な時代、お腹いっぱいだから色んなものが廃棄される時代。

探す努力をしなくても色んな情報、色んな音楽に触れる事が出来る時代。

 

テクノロジーの流れを食い止めるのはきっと出来ないからこそ、じゃあ流れに身を委ねて、何をキャッチするのか。

YouTubeから、プレイリストからなんとなく流れてきた曲のどの部分に強く惹かれたのか、タイムラインに流れるどの言葉にパンチ力と感情が込もっているのか。

 

そういった感覚をキャッチすることを、あいみょんはずっと続けて来たんだなと、1枚通して思わされるアルバムだ。

 

自分の直感が本当に好きなものを見つけてくれる。譲れない思いと自信を植え付けてくれるのは、それぞれに備わっている「瞬間的シックスセンス」に他ならない。

ここまで長文を書いておいて言うのはアレだけど、自分の感性で聴いて欲しい。

 

 

この記事を公開した2日後に、あいみょんは自分が生まれた「1995」を掲げて日本武道館で弾き語りライブを行う。

 

音源で聴く楽曲は凄腕のアレンジャー達が曲を更に良いものにしているし、彼女自身も新しい引き出しが開くことを楽しんでいるだろう。

 

だけど、曲作りの発端、つまり「瞬間的シックスセンス」が発動する原点は弾き語りだからこそ、初の大舞台は1人で立つことにしたのだと思う。

 

参加される方は是非とも楽しんで来て欲しいんだみょん。