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My Hair is Bad「boys」少年から大人まで、1人ひとりが主役の長編映画を描く

「今夜ここに居るヤツら、俺が全員救う」

という椎木知仁の心の叫びがまだ記憶に新しい。4月に観た横浜アリーナでのワンマンライブは素晴らしかった。

 

今のMy Hair is Badは前向きで、挑戦的で、壁を自ら作ってぶつかって、それでいてバンドが続いていることに目一杯の幸せを感じている。

 

自分達の音楽に共感してくれた人を救う。その覚悟と自信をバンドにもたらしたのが、先月末にリリースされた4枚目のフルアルバム「boys」だ。

今のMy Hair is Badのリアルが詰まったドキュメンタリーでありながら、アートとしても素晴らしいアルバムを作り上げた。

バンドの身の丈が意識の変化に追いつくまでの1年間

バンドマンからミュージシャンへ。

そんな椎木さんの意識の変化が今作のスタート地点だったそうだ。

 

2018年の1年間でMy Hair is Badはライブハウスを飛び出してホール、アリーナと着実に広く遠くにホームランをかっ飛ばしてきた。

その後昨年の秋にリリースされた5曲入りの「hadaka e.p.」からは、椎木さんが1人でデモ音源を完成させる制作スタイルに取り組んだ。

制作スタイルの変化によって誕生したのは今までには無いタイプの楽曲。

個人的には、バンドが大きく変わろうとしている途中経過を見ているようでワクワクした。一方でそれがリスナーにちゃんと届くか不安を抱えていることも伝わってきた。

 

ただそれ以上に、メンバーにとってこのEPを出した1番の収穫だったのは、意識の変化がまだ身の丈に合っていなかったということ。

先述した制作方法の変化によって、一言で言うならバンド感が損なわれたのだろう。

 

そんな反省を踏まえた上で「boys」は作られた。

「hadaka e.p.」の時は椎木さん1人でがっつり作り込んだというデモには、バヤさんとやまじゅんのアイデアを加えられる余白を増やし、尚且つやったことないコード進行、リズムパターンに挑戦するストイックな制作をやり抜いた結果が、既存曲なしで全曲新曲の13曲のアルバムになった。

前作で背伸びしまった分もしっかり取り返した素晴らしい作品だと思う。特に、バンド感を取り戻したリズム隊のアレンジが冴え渡っている。

 

冒頭で触れた横浜アリーナでのライブの時点で「boys」のレコーディングは終わっていた。だから、リリースした時点では背伸びしていた「hadaka e.p.」の楽曲がハイライトになっていたのだ。

 

横浜アリーナでのライブは途中でギターが鳴らなくなるトラブルもあったが、ギターを弾く代わりにフロアに飛び込んだ椎木さんの暴走モードをバヤさんとやまじゅんの2人が支えるシーンも印象的だった。

 

あの時の2人の存在感は「boys」で納得のいく成果を出せたからこそ生まれたのだと思う。

EPの制作とアリーナツアーが「boys」を生み出すまでのまさに「次回予告」になっていたのだ。

「少年から大人」の視点で描いた得意技

遠回りが実を結んだ曲作りに加えて、「boys」の楽曲は作詞面においても進化したポイントが見受けられる。

 

バンドの影響力が増し、届ける規模が大きく、広くなっていく。そこへ立ち向かう上での困難。それでもポジティブに先を見ている。最近の楽曲の歌詞にはそんな心情を映すような言葉が綴られていた。

 

「boys」にもこういった前向きな想いは感じられるが、それと同時に最近は(あえて)使っていなかったという「従来の得意技」も炸裂している。

 

それは、3曲目の「浮気のとなりで」から「化粧」「観覧車」までの楽曲に特に象徴される恋愛描写だ。

バッドエンドの雰囲気を醸し出す恋愛描写。マイヘアのファンの方ならこれが椎木さんの得意技といって通じるのではないかと思う。

 

ただ従来と根本的に異なるのは、椎木さん自身は歌詞の当事者から遠ざかっているということ。

客観的に俯瞰的に描くことで、作品としての物語性がグッと増しているのだ。

 

 

同じく「従来の得意技」である、夏と青春の描写も冒頭の「君が海」と「青」の2曲で鮮やかに描かれている。

 

想い出を校庭に埋めて 子供たちは皆大人になった

– My Hair is Bad「君が海」

 

歳を取る その前に ちゃんと残しておきたかった 青がわかるうちに

 

無くしてしまう前に染み込ませたい
その色が青なんだ

– My Hair is Bad「青」

 

それぞれ今作の作詞における椎木さんの立ち位置を言い表しているフレーズだと思う。

 

以前の楽曲の主人公は他でもない椎木さん自身だったが、「boys」の楽曲には何人もの主人公がいる。

自分だけのバンドじゃないという想いの表れでもあると思う。

 

少年から大人になり、まだまだ進化していく途上にいる。だからこそ忘れないうちに、そして聴いてくれる人のために、タイムカプセルに埋めていた得意技を解禁したのだろう。

“みんなのMy Hair is Bad”になって生まれた「役」

一人称で語っていた過去の得意技を遠くから描くで楽曲の物語性が増した「boys」

作り手の主観が外れることで、聴き手にとってはより各々の感情を重ねやすくなるだろう。

 

様々な主人公の様々な気持ちに寄り添えるアルバムになったが、それを生み出すMy Hair is Badはいつまでもノンフィクションな存在だ。

 

My Hair is Badの音楽を聴いて大人になっていく人たちのストーリーも描いているのだが、それでいてやはり、バンドの今までと今とこれからを繋ぐドキュメンタリーでもあるのだ。

 

 

今作は「舞台をおりて」と「芝居」という2曲が壮大にアルバムを締めくくる。

 

前回のアルバムのラストナンバー「シャトルに乗って」やメジャーデビュー曲「戦争を知らない大人たち」は彼らが生活している場所を遠くから眺めることでスケールを広げた名曲だが、今作の2曲は人生を舞台の連続、長編映画になぞらえることで時間軸のスケールを広げたロックバラードだ。

 

物語の最後はきっとハッピーエンドがいいから

 

幸せな役だけ
演じて行くわけにはいかない

– My Hair is Bad「舞台をおりて」

 

残った傷も汚れも恥じたりしないでいい

 

悲しい台詞が増えたのは 嬉しい場面の前振りだろう

– My Hair is Bad「芝居」

 

今までの楽曲で描いてきたのは、これからハッピーエンドに向かって長く続いていく物語の序章にして、盛り上がりを彩るシーンに過ぎない。

 

過去の自身の生々しい傷を癒して救っていく。アルバムのクライマックスで、今までの楽曲の主人公が未来で報われているような光景が目に浮かぶ。

 

この2曲には素晴らしいと思える大きな理由がある。

それが歌詞に出てくる「役」という概念だ。

つまり、限りなくバンド自身のことを歌った歌でありながら、楽曲の主人公は自由に置き換えても良いということ。ここに今の彼らの優しさ、懐の深さが感じられるのだ。

 

 

横浜アリーナで椎木さんが叫んだ、今までの楽曲に共感してくれた人を救うという台詞。それはバンドが自分のものから「みんなのMy Hair is Bad」になった証拠だと思う。

バンドにとってもリスナーにとっても、一人ひとりに書き換えの効かない自分自身という「役」を全うしてもらうため。今のMy Hair is Badの音楽はそのために鳴っている。とても頼もしいことだと思う。

少年の原点を育てる旅

前回のツアーで複数のアリーナ会場を回ったMy Hair is Bad。

今作「boys」を提げた全国ツアーはファイナルにさいたまスーパーアリーナを控えているが、そこまでは全国各地の小さなライブハウスを隈なく回る。

 

 

作品を作ってツアーを回ってやっと完成したのが前作の「hadaka e.p.」だとしたら「boys」は最初から十分に完成度の高い作品だと思う。

 

「舞台をおりて」「芝居」みたいなバラードもそうだし、「君が海」のような昔の匂いも感じる曲も壮大で、3ピースで大きく鳴らすロマンも詰まっている。

バンド感もあるしスケールも広い。完成度と作品性の高い素晴らしいアルバムだ。

 

だからこそ、実はあまりライブハウスに映えないのではないかとも思う。

 

でも、前半戦のハイライト「ホームタウン」を聴けば、今回のツアーで今までもライブをして来たであろう小箱を回る理由が伝わってくる。

 

ここで育ったんだから ここに拘ろう
ここに住んでるんだから ここを育てよう

– My Hair is Bad「ホームタウン」

バンドマンでありながら「ミュージシャンになりたい」という想いからスタートした今回のアルバム。

小さな会場では身の丈が合わないように感じる作品でもあるが、ライブハウスから始まったバンドが規模と影響力を広げていって、みんなのMy Hair is Badになった。

 

そんな今のバンドの強さ、頼もしさ、優しさをもって、育てて貰ったライブハウスに帰ってくる。ここを育てる。ここで愛された分の愛を返す。お互いの恩が次のツアーで循環したところで「boys」も本当の意味で完成するのだと思う。

 

 

My Hair is Badは今年で結成から11年。バンドとしてはまさに少年時代をこれから過ごすことになる。

夢が、憧れのステージが、今は通過点となって更なる夢を描いている。

「boys」の楽曲も、次のツアーも、ハッピーエンドの長編映画を撮り続けていく中で絶対に必要なシーンになる。

 

その映画の一員として、また何処かで見届けたいと思う。